竹細工・古々呂塾|飯塚 真澄(いいづか ますみ)

  • 2019年3月20日
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竹細工と日本人

中之条、反下(たんげ)地区。山の隙間に、美しい川と一緒にひっそりと隠されるようにしてある小さな集落。この場所に、不思議な看板を掲げた建物がある。『古々呂塾』。玄関の横にドシッと掛けられているが、どうに読んだらいいのかな?

「〝こころじゅく〟です。新しいもの作ってないし。古いもの、昔からあるものっていうことで」飯塚さんは、さらりと答えた。

反下生まれ反下育ちの飯塚真澄さんは、ここで竹細工をつくり、旅館や雑貨店などに商品として出している。竹トンボ、トンボのやじろべえ、オシャレな容れ物付きの竹炭、二連のちいさな竹笛。「篠笛も作ったんですよ。どこへやったかな…。あんまりいい音が出ないんで、アタマにきたから先をチョン切ってね、縦笛にしてやったり」そう言って笑う篠原さんは、竹のように飄々として見える。

飯塚さんの仕事はとても早い。小刀や使いやすいように自分で手を加えたノコギリなどを巧みに使い分け、面白いくらいあっという間に形になっていく。見事な手さばきだ。

竹と日本人

竹細工は独学。そして、それは特別なことではないと飯塚さんは言う。

子どもの頃、周りの大人が、暮らしに使ういろいろな道具を竹から作っている姿を見てきたという。軽くて、筒状の形をしている竹は加工しやすく、生活に欠かせない多くの道具を生み出してきた。竹で編んだザルやカゴ。竹から削り出したしゃもじ、ヘラ、箸。竹筒をそのまま利用した容れ物など。農家の冬仕事として、竹細工は当たり前にあり、誰もが持っている技だったという。

自らを“最高級品でないものを心がけてつくっている”と強調する。

「竹は日本の歴史のなかの本当に基本的なもので、なおかつ一番身近にあるものだと思うんですよ。日本人の気持ちの一番底にあるもの。でも、竹細工する人はどんどん減っている。高級な竹細工を作る人はいるけれどもね」

飄々と語る飯塚さん

生きる知恵 生まれる興味

飯塚さんの凄いところは、そのたしかな技術はもちろんのこと、“アイデアを生み出す才能”かもしれない。よく近隣の温泉旅館からの依頼で、大物の竹の作品の制作も行っているというのだが、その際にいつも言われるのは「『なにか』作ってくれ」という言葉。ここのスペースを飾るもの。庭先に置く照明。料理の飾り付けになるもの。『なにか』と言われても…と思ってしまうけど、飯塚さんは、そのどんな曖昧な要求にも技術と独自のセンスで応えてきた。「竹のことならなんでもやりますよ」飯塚さんの自信だ。

ときどき近所の子どもを集めては、竹トンボなどの作り方を教えてもいる。“ものづくり”は、人間ならば本当は誰もが持っている基本的な能力。自分に必要なものを自分の力で作る、生み出す大切さ。それは生きぬく力、勇気、知恵だと思う。

竹で何か作るのはたのしいですか?「とくに楽しくはないです。楽しくはないけど嫌でもない。もう生活の一部になっちゃってるから、そこまでの感激もないですね」やっぱり飄々としている。

「でも、新しいものができた時は、これはもう、楽しいですよ」

「竹トンボは電柱を超えて高く飛んだら合格」びゅーーん! と勢いよく飛ばし、「こないだ拾ったトンボがさ、きれいで辞書に挟んであるんだけど、新種かな」と屈託なく興味を抱く姿は、竹のように真っ直ぐだった。