乾燥いも|田村 一秀 (たむら かずひで)

  • 2024年2月22日
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田村さんはとても明るい人だ。ざっくばらんでエネルギッシュ。今日の日差しのようにカラッとしている。
植え終わったばかりの苗が、真っ青な空の下ですくすく育つ広大な畑をバックに、ツナギ服に長靴姿。何気ない農家さんスタイルも、田村さんだとキマってみえる。
この畑、すべてサツマイモ。
田村さんは、乾燥芋専門農家なのだ。サツマイモの栽培から加工製造、包装までを一手に行っている。
「植えてからちょうど2週間ですね。これが冬には全部、乾燥いもになります。全量売り切れだと思ってください」
田村さんが作る乾燥いも『いもっ娘』はとても人気がある。いま作っている分の卸先も、すべて決まっているそうだ。その年に作ったものが無くなれば、売り切れ。〝丸干し〟というサツマイモの形がほぼそのまま活かされた製法で、適度な水分が残り、しっとり柔らかいのが特徴だ。スーパーなどでよく見かける、薄くスライスされた乾燥いもしか食べたことのない人には、ぜひ試していただきたい美味しさ。
『いもっ娘』で使われるサツマイモは3品種。サツマイモ独特の旨みや風味が濃く、乾燥いもに適した品種の『玉豊(たまゆたか)』と、スイーツのような強い甘みと滑らかな食感を楽しめる『シルクスイート』と『紅はるか』。
サツマイモは10月の霜が降りる前に収穫を迎え、ハウスいっぱいに貯蔵される。年間総生産量100トン以上というからすごい。この日は時期的に見ることができなかったけれど、ハウスから溢れんばかりのサツマイモ、きっと圧巻に違いない。
この貯蔵期間中に、でんぷんの糖化が進み、さらに甘みを増す。
「朝方の零下で凍ったサツマイモが、日中に溶けるんですよ。これを繰り返すことで、どんどん甘くなるんですよ」
真冬の夜~朝方に冷え込む中之条の気候は、乾燥いもに向いていると、田村さん。
12月からは加工が始まる。土を洗い落とし、皮をむいて、蒸す。形がそれぞれ違うため、すべて手作業で行われる。1日平均2トン。この時期、多い時には10人ほどで、ひたすら皮むきなどの加工作業に徹する。
「みんな黙々と静かに、、いや、静かじゃねぇな」(笑)
あまりの仕事量に、手も口も止まらない、って感じだろうか。大勢で賑やかに皮むきする様子が目に浮かぶようだ。
そして、蒸す。この時に加えられる熱によっても、サツマイモは甘くなるという。
蒸し終わったものは、ハウスに並べて干す。
貯蔵、熱、乾燥。こうして旨みと甘みが最大限引き出され凝縮されたら、美味しい乾燥芋の完成。包装して出荷される。

現在は乾燥いも一筋の田村さんだけど、大学は理系出身。バイオテクノロジーを学び、一度は就職もしている。「青いバラが作りたかったんだよね~」と、意外な発言に驚かされた。
「実家が農家だから休みのたびに家を手伝わされて。いつかは継ぐんだろうなと頭の片隅に思いつつも、素直にそのレールに乗りたくないっていう気持ちがあって」
両親はもともとは、こんにゃく農家だったのだという。
群馬県はこんにゃくの国内シェア9割を誇る、一大生産地。田村さんの両親も、いわく「脱線せず」こんにゃくを作り続けてきた。
「こんにゃくの栽培は春から夏が忙しくて、冬が暇なんですよ。だから、冬の農閑期に何かやろうと。栽培だけじゃなく加工もできるもので、いろいろ候補があったうちのひとつが、乾燥いもだったんですよ」
その選択は〝当たり〟だった。折しも、農業者が生産から加工までを一環して担う〈六次産業〉という分野に注目が集まる前のことだった。
「始めて数年たってから、急に〈六次産業〉ともてはやされて」(笑)
こんにゃくと並行して作っていた乾燥いもの生産割合は、年を追うごとに増していった。田村さんが就農したときに3割ほどだったサツマイモは、現在では100パーセント。乾燥いもに特化した農家となった。
「『いもっ娘』のコンセプトは、戦前生まれの人たちが、各家庭で保存食として作っていた乾燥いも。家で乾燥いもをつくる習慣や、その味を忘れた現代に、懐かしい味を再現したい」と田村さん。
懐かしい味・・・、なるほど。冬のこたつで『いもっ娘』を食べはじめたら、ほっこり、手が止まらない。
〝不可能〟を意味する青いバラを作りたいと、最先端の技術を駆使していた田村さんが、いまは昔ながらの味を届ける仕事をしている。
こんにゃく農家からの華麗なる転身。
人生なにがあるかわからないな、なんて考えながら、これを書いている真夏の現在、乾燥いもが美味しい真冬の季節を待ち焦がれている。