牛を飼うお仕事は大変?
たくさんの牛たちが餌を求めて関さんに近づいてくる。時折傍らの牧草の束を与えながら、関さんは私たちのインタビューに応じてくれた。生き物である牛たちが相手のお仕事。朝も早くから、夜は遅くまで。牛たちは毎日餌を食べるし、毎日糞尿を排出する。毎日必ず搾乳は朝晩1日2回、欠かすことができない。出産もあれば病気もある。動物相手の仕事には、基本的に休みはない。さぞやハードな毎日にお疲れなのではないかと、この仕事で一番大変なことは何かと聞いてみた。
「えぇ…っと…」。しばらく考えこむ、関さん。大変なことが多すぎて、どれから答えて良いのか考えているのだろう。そう推察していた。だが、長い沈黙のあと意外な言葉が口をついた。「大変なことを思いつかないくらい、楽しんでやっている!」と、満面の笑顔で。これには驚いた。
震災もふくめて私の人生だし、その時間があったからこそ今を楽しめている。後悔はない。
2011年、東日本大震災の年にお兄さんが就農した。しかし自分たちで育てた自家製の牧草から放射能が検出されてしまうなど問題があり、翌年にお兄さんは家を出てしまった。関さんは悩んだ。家族ともずいぶん話し合いをした。でも、牛がいない自分の実家を、どうしても想像することができなかった。すたれていく田舎の風景に自分も何かしなくてはと思い、中之条へ戻ってくることを決意した。
子どもの頃、牛は関さんにとって迷惑そのもの。牛のせいで両親は忙しくて、どこへも連れていってもらえない。小さいころ旅行に連れていってもらえなかった経験から、関さんは旅行会社に就職した。いろんな人に旅行を楽しんでもらいたいと思ったからだ。関さんは中学生のころから、ずっと中之条から早く出たくて出たくて仕方なかった。
牛に寄り添うようになってから、牛の魅力や地元で酪農する意味などを考えられるようになってきた。
一度地元を離れて進学後、旅行会社で働き、まったく別の暮らしがあることを知った関さん。反面、都会の暮らしにはないものが中之条にはあって、新鮮で楽しく思える。だから、会社員で働いていたことが今に生きていると感じている。今は毎日がお休みのようで、牛と遊んでいると思っている。ギャップはあるけれど、大変な仕事をしてきたからこそ、そう思えるようになってきている。
「今の自分があるのは町の人に育ててもらったからだと気づいた。両親が忙しかったので多くの人に助けられて育ったことを知ることが出来た。町の人には感謝しかなくて、どうやったら恩返しができるかを考えている」。そう語る関さんは今、酪農教育ファームという活動を通して、子どもたちに町や地域の人のつながり、農業や食を通じて命の大切さを伝えていきたいと思っている。中之条の環境に感謝はしているけれど、まだまだ課題はあると感じている。いろんな人と協力をし合いながら地域を盛り上げる活動をしていけたら嬉しい。
牛と触れ合う関さんの笑顔は、本当に楽しそうだ。「繋がり」という目に見えないものが確実に通じ合っているように見える。子どもたちや地元の方たちとの「繋がり」も、きっと同じように楽しみながら作っていくのだろう。そう思った。