山の上庭園ガーデナー|淵上 奉夫(ふちがみ ともお)

  • 2024年3月18日
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豊かな庭、とはどんな庭だろうか。姿美しく色鮮やかな薔薇が咲き誇る庭?庭師たちの手入れが行き届いたどこを切り取っても絵になる庭?ナチュラルガーデンという言葉も一般化した今、植物本来の生態系が息づく庭を豊かな庭とイメージする人もいることだろう。

沢渡温泉を抜け暮坂峠を越えると、周囲の景色に溶け込むかのように「中之条山の上庭園」が現れる。標高1000メートル。山の地形を生かした庭には、春の訪れと共にハナモモが咲き並び、夏には高山植物であるエーデルワイスが一面を白くし、晩秋には赤褐色の植物たちが山を染める。店内に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。品良く落ち着いた色合いのナチュラルドライのドライフラワーや、保存加工がされたプリザーブドフラワーが室内いっぱいに溢れる。これらのほとんどは地元で育てた「六合の花」ブランドの花から作られている。その奥では長い年月をかけてここを作ってきた淵上奉夫さんが、手際良くドライフラワーのブーケを作っていた。ドライフラワーや木の実などを自由に選べるリースづくり体験も人気で、この庭園のファンだと自称する人は多い。
淵上さんは、福岡の旧炭鉱町で育った。人見知りが激しく、発掘の不要物でできたぼた山に登って遊んでいた少年時代。大学に通う頃には北九州で母と姉が花屋を営んでいた。自身は花に対する興味は微塵もなかったが、姉が結婚を機に花屋を辞めることを聞き、母の手伝いをするために花屋になることを決意する。
東京での花屋修行はとても充実していた。六本木にある有名店には日本全国から、後に故郷に戻り花屋を継ごうという若者たちが集まっていた。田舎では当時30円くらいの薔薇の花が、こちらでは1000円でも売れる。何が違うのかと勉強を始めた。花の名前、どの花をどのように組み合わせるかのデザイン、切り花にするための栽培方法に至るまで、覚えなければいけないことは山ほどあった。植物って面白いな、と純粋に思った。
北九州に戻り母と花屋を継続させた。弟も引き込んで店舗を増やし、実家も花屋に変えて計5店舗を経営。社長として多い時は10人ほど人を雇い、東京へ出向いての勉強も継続。花店は結果30年余り続けた。
花に関わる上で転機になったのは、東京在住のフラワーデザイナーの友人に誘われて50歳を過ぎて行った花の国、オランダでの研修。淵上さんは熱心に学びプロフェッショナルの証「ディプロマ」という認定証も授与された。淵上さんが六合を知るきっかけとなったのもその友人で、彼は六合の野の花を見て農協の職員に
こういった花を市場に出荷しないかとアドバイスもした。それを聞いて地元の花卉部会の人たちが宿根草や山野草を作るようになったのが「六合の花」のはじまりとなった。

淵上さんと奥さんが六合に移住してきたのは、子どもたちも手を離れた淵上さん58歳の時。花の販売ではなく、移住を機に栽培をしてみたいという気持ちが強かった。山の上庭園の前身となる「花楽の里」は移住1年前の2000年にオープンしていたが、淵上さんが来た時にはすでに厳しい経営状況だった。当時の村長から相談を受け、当初は2年という期限を決めて手伝うことを決めた。給料を出せないからスタッフも増やせない。しばらくはたった1人での挑戦が続いた。
当時の庭について。図面を見たら100種類くらいの花が植えてあるはずなのにない。管理者不在だった。生き残っていた花が少しあったのでそれを活かしつつ、当時はもう「六合の花」として確立していた宿根草の株分け苗の余剰を農家からもらい、少しずつ植えていった。人手が足りないので消毒はほとんど行わず化学肥料も使わない。たまにたい肥を置くくらい。それでも枯れない。枯れないというか、この環境で枯れないものしか残らない。それが結果美しい庭を作った。2年のつもりが20年を越えていた。「色々なことを植物に教えられた」と淵上さんは語る。

淵上さんが作るドライフラワーには、白く枯れたなずなや、乾燥し葉がくねくねと曲がったすすきなど、いわゆる雑草も含まれる。それらは観賞用の花にはない素朴さがあり、他のメーカーが作っていないという独自性も持ち合わせている。もとは、草取りが間に合わず「雑草も植物、植栽した花と一緒に鑑賞してください」と言って育ったこの庭の雑草だ。六合に来るまでは客商売として売れる花のデザインをしてきた。現在ではどの季節のどこにその花が咲くのか、六合の植生に沿ったデザインをするようになった。それがお客さんに受け入れられている実感もある。時代が追い付いてきた。近年は東京のアパレルなどからも多量のドライフラワーの発注がある。出口があるから、値段を決めて花農家に生産依頼もできる。

「コロナ禍を経験し、生活の有り方が大きく変わろうとしています。自然が感じられる環境を建築に取り入れるバイオフィリックデザインは、六合の花の未来に大きく影響していくでしょう。商売で成功したいという僕の野望はない。この地域の新規就農者は増えているが、六合の花を後世も安定させていきたい。こういうことは、六合じゃなきゃできなかった」と淵上さん。継続できる庭、それは、豊かな庭の絶対条件である。