ヨガわがんせ yoga WAGANCE|福田 麻衣子(ふくだ まいこ)

  • 2024年3月11日
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中之条町のシンボルである嵩山(たけやま)へ向かう途中、住宅に囲まれた静かな高台に福田麻衣子さんのヨガスタジオ「yoga WAGANCE(ヨガ わがんせ)」はある。

ヨガと聞くとハードルが高いように思ってしまうが、福田さんが心がけているのは地方に合った初心者にも優しいヨガ。「初めての人にいきなりヨガっぽいポーズをさせようとしても、その手前でほぐさなければいけないものがいっぱいある。対象に合わせて教える内容を変える必要があるってことを、実践しながら学んだ」と語る福田さんのレッスン参加者は、男女問わず20代から80代までと幅が広い。レベルや目的に合わせてコースを分け、子育て中の女性も参加できるように保育士付きのコースも設けた。月謝制ではなく回数券方式をとっている事も、気軽に参加できる工夫だ。
取材日には、常連のおじさんがいちご一箱を差し入れで持ってきた。レッスンを終えた方々に感想を聞くと、「体が軽くなった」という方から「生きがいになっている」という方まで様々。和気あいあいとした雰囲気。

健康を支える側の福田さんだが、前職はそれとは真逆とも言える過酷な仕事に就いていた。名前を聞けば多くの人が知るであろうミュージシャン達のプロモーション映像を作る、プロデューサー職である。

中之条町で生まれ育った福田さんは、中学校では吹奏楽部に入部。音楽を熱心に聴き始めたのもその頃で、好きなラジオ番組から流れる洋楽をメモし、地元の吉田書店でCDを取り寄せる。映画も好きで、中学生で高崎映画祭のフリーパス(期間中全映画が見られるチケット)を買ったというのだから凄い。上映後は走って終電に滑り込み、真っ暗な田園を行く吾妻線に揺られながら「ここまで苦労しないとエンタメに接することができないなんて、東京へ行かなきゃダメだ」と思った。

日本女子大学では文化学や美術史を学んだ。大学4年次からアルバイトとして働いた映像制作の現場が人生のターニングポイントとなり、そのまま映像業界へ。以後15年以上に渡り身を置くこととなる。怒られて泣くことも多かったが、その仕事ぶりが評価され、制作業からプロデューサーへ移行。ミュージシャンの個性と、ディレクターの創造性と、現実的な予算の間に立ち、商業効果を求められる映像を作る日々。馬車馬のように働き徹夜も常時。自律神経が乱れて、疲れているのに眠れない夜も多かった。

気分転換のつもりで都内のホットヨガに通った。体を動かし汗をかき気持ちが良い。映像の仕事にやりがいはあったが、50代になっても続けているイメージが持てなかった。ふと、地元中之条町で行われていた芸術祭「中之条ビエンナーレ」を見に戻り、東京での仕事は続けたまま、2013年にはビエンナーレの事務局の仕事もした。中学高校時代は行かなかった四万温泉や六合へ行き、そこで暮らす人々の面白さにも気付いた。
事務局の任期が終わり東京へ戻ると、中之条町ではできなかったヨガにぐんと惹かれていく。これ以上ヨガを深めるなら資格を取ろうと思い、ヨガ指導の勉強を始めた。「映像の仕事は外に出ていく仕事だったから、自分の内側に意識を向けていくヨガの感覚が新鮮だった」と福田さん。「物事に執着しなくなったり、客観的に見られるようになった。二十代で同じことをやってもダメだったと思うし、この先を考える年代になったからヨガにはまったのかなと思う」と続けた。

そして、福田さんは再び中之条町に戻った。その後は、中之条ビエンナーレで繋がった縁から、四万温泉のヘルスツーリズムでヨガを教えたり、町主催の男性ヨガのクラスを持ったりした。自分のスタジオを持つつもりはなかったが、実家の側に住むおじさんから、元ダンスホールの空き家を使ってほしいと猛プッシュがあった。根負けし、リノベーション。2017年に「yoga WAGANCE」をスタートさせた。
近年は「spice WAGANCE」名義でカレーの調理・販売も行っている。スパイスによる予防医学をベースに、カレー作りを学びにスリランカへも行った。中之条町の農家を訪ね、干し芋を製造する田村さんのさつまいも、火を通すと甘い山口さんの長ネギ、中之条町のブランド米「花ゆかり」などを使ったオリジナルカレーを作った。中之条ガーデンズ等で不定期に販売するカレーは、彼女にとっては地元食材をプロデュースする場でもある。

「WAGANCE」は仏教用語からとった。和顔には笑顔という意味があり、お金はなくても笑顔を与える(施す)事が大切という教えである。
「私は、起業したいっていうよりもやりたいことをやってきた。その時その時で自分が納得できれば、失敗しても仕方ないと思える」と語る福田さんは今、人や町と関わりながら、自分と向き合う時間も大切にしている。

今号では、起業という選択をした女性たちに取材を行った。そこに、テレビ番組で見るような華々しい女性経営者の姿はなかった。福田さんが言うように、彼女たちは起業を目指したわけではなく、人生の岐路に立ち、その道を選ぶしかなかったようにも思える。それぞれがやりがいを感じている一方で、迷いも抱えている。それで良いのだと思う。彼女たちの行動は、次に続く人たちへのエールでもある。