鉄砲打ち(猟師)|山本秀明(やまもとひであき)

てっぽうぶち(りょうし)、やまもとひであき

鉄砲打ち(猟師)|山本秀明

里山との暮らし、野生動物との関係

里山での暮らしでは、野生動物との関わりは切っても切り離せないものだ。夜中の山道に車を走らせれば、タヌキ、イタチ、キツネなど、実にいろいろな獣に遭遇するし、昼間に猿の集団に出くわすことも珍しくはない。だが山際のみならず、いままであまり被害をきかなかった一部の住宅地にまで野生動物がやってくるようになったのは、実はここ数十年くらいのことだ。

山や森と競って暮らすかつての生き方は、文明や都市の発展と共に失われつつある。ひとびとは便利で快適な街に引きこもり、自然とのつながりを絶ってしまった。ひとが踏み入ることがなくなった山は荒れ、人間の住む領域と森との境界がとても曖昧になった。野生動物の出現は、そのことを如実に物語っている。

鉄砲打ち(猟師)の歴史

中之条町は、町の80パーセント以上が山と森だ。野生動物の被害は、農業をする者にとっては死活問題である。そんな土地柄上、猟師の歴史は古く、その存在はとても重要だった。

町でもとくに、より山あいに位置する六合(くに)地区は、長きにわたり野生動物との攻防をつづけてきた地域だ。それでも、

「地区内に7,80人はいた猟師が、今は20人くらいに減った。」

と話すのは、山本秀明さん。ガソリンスタンドを営むかたわらで、猟師をしている。店内は毛皮の宝庫。明るい黄金色の柔らかな毛並みのテンや、ゴワゴワの熊の毛皮。これらは、まだダウンジャケットなどなかった時代、冬山での猟をする猟師たちにとって非常に重宝なものだっただろう。

暮らしの変化と熊猟

今いる猟師は山本さん同様、兼業のひとばかり。この時代に猟師で生きていくのは困難だという。祖父の代以前には猟師一本でやっている者もいたというが、では、彼らはどうしていたのか。それは熊猟だ。熊は、漢方薬に毛皮にと、高く売れ、生きていくのに十分な収入を得ることができた。なかでも、熊油は火傷や湿疹、肌荒れなどに高い効能があるとして、馬油と並んで民間療法などで広く需要があった。熊が取れないと手に入らないため、現代においても大変に希少品である。

山本さんが冷蔵庫から熊油を取り出し見せてくれた。見た目はラードのような白濁した固形油。ほんの少し指先にとり、肌に塗る。すると、とたんに溶けてさらさらした液体になり、滑らかによく伸びる。肌に、自然になじむ。

異質に感じる現代の猟師

毛皮やこの熊油も、昔は当然のように、ごくふつうに、人々に恩恵をもたらしてきたのだろう。なのに、なぜか遠い。まるでファンタジーの世界のこと、もののように感じられるのはどうしてだろう。

里山の生活を守ってきたはずの猟師の存在が、現代社会の中で異質に感じてしまうのは、どうしてだろう。

「アングラだからなぁ」

山本さんは言う。たしかに、生き物の命を奪うという側面から、猟師の暮らしは影の部分も同時に担ってきた。しかし、そうであるがゆえに、その闇の向こうに広がる文化や知恵は、人の目に触れることのない暗い森の奥で、独自の豊かさと広がりをもって発展してきたに違いないのだ。その深部に、あらためて光をあててみたい、そう思った。