絵描き|星野 博美 (ほしの ひろみ)

  • 2024年2月13日
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中之条に住むアーティストを取材するなら、ぜひとも星野さんを書きたいと個人的に思っていました。
初めて星野さんと出会った2015年のときのこと。まるで地元の人のように軽トラに乗って現れた姿に、なんともいえない不思議な安心感と親近感を覚えたものです。そのことを話すと、
「だまされるよね(笑)、そうやって地元の人のフリをしてる」(笑)
と星野さんは冗談を言うけれど、それは嘘でもフリでもなくて、彼女はもう、れっきとした中之条の人なんだと思う。
今年で10年目を迎える中之条生活。農家で働きながら制作をし、最近では町の出版物などへ素晴らしいイラストを提供するようになりました。
日々、中之条の土を触り、作物を作り、この土地が育んだものを食べ、この町の空気の中で作品を作っている。体には、この場所の血がきっと流れている。星野さんは、『中之条の星野さん』です。
町をモチーフに描いた星野さんの作品からは、懐かしい土の香りがするし、晴れやかな空の高さを感じるし、山の向こうに沈む太陽の輝きが見えるし、雨の日の湿り気を帯びた濃密な空気の感触がする。
「農家で働かせてもらうようになって、目の前の景色が、一日のうちに移り変わっていくことを知りました。田んぼの色とか山の表情とか、同じ場所なのに刻々と変わっていく。それがとても新鮮で。そんな、時間や季節で変化していく色と風景を絵にしたいなって。それ以前は白黒で描いていたけど、今度は色を使って描いてみたいと思うようになりました」
星野さんは、スケッチをもとに、色紙を作り、形に切り、切ったものを画面に貼って、貼り合わせ、貼り重ねることで、ひとつの絵を作り上げていきます。
制作は、厳しい農家の仕事の合間に。
「仕事との折り合いがまだわからない。農作業で疲れて帰ってきて、思うように制作に向かえない日もある。日々の暮らしの中でどう制作してくか、今でも課題です。農作業とうまくバランスをとって絵を作っていけるように、試行錯誤しているところです」
星野さんは悩みながらも、作品を作り続けています。

星野さんがこの地へやってきたのは、町を舞台とした二年に一度の国際芸術祭『中之条ビエンナーレ』にアーティストとして参加したことがきっかけでした。2007年に始まった第一回、続く2年後の第二回目を機に中之条に移住。
その頃は、地域を舞台とした新たな芸術祭が、各地で次々と生まれていた時期でした。それらの多くは〝町おこし〟の側面から行政が主体であったなか、中之条ビエンナーレはアーティスト主導で始まりました。星野さんも数年間にわたり、運営に携わりました。
いまとなっては、町民にとってもお馴染みとなった中之条ビエンナーレだけど、始めた当初は芸術祭やアーティストへの理解も少なくて、きっといろいろな苦労もあったと思います。
「町外から来て右も左もわからないアーティストを地元住民と繋ぐ存在がとても重要で、自分もそうなりたいと思ってやっていました」
そう回顧する星野さん。彼女のように、土壌を耕す人がいてくれたからこそ今があるんだな、としみじみ思います。
星野さんの10年は、現在の暮らしぶりを見ればわかります。たとえば留守の間にはお隣さんが郵便物を預かってくれていたり、近所の家からお裾分けをもらったり・・・。受け入れられ、溶け込んでいる。
「そんなふうに〝家族の匂い〟を届けてくれる人たちがいて、だからこうして10年住んでこれたと思います」
中之条に移住してからのいままでを振り返って、どんな気持ち?
「それはもう、お世話になります。お世話になってます。しかないんじゃないかな」(笑)
「ここ数年のことだけど、Uターンで地元に戻ってきた人で、帰ってきた理由のなかに中之条ビエンナーレの存在もあったよ、と話してくれた人がいて、とても感動しました。10年たってこういうことに繋がるなら、自分のやってきたことも、まんざらでもなかったかもと」
「自分が体験したことを絵にする。暮らしの中で絵を描くことをどう続けるか、というのをやっていきたいです。今後も中之条に居続けるかわからないし先のことはわからないけど、この町で得た経験をずっと生かしていきたい」
どこへ行っても、行く先々に種を蒔いて、耕して、耕されて・・・この中之条の10年があったからこそ描ける絵を、実らせてほしいな。そして、どんな形でも、また戻ってきてほしい。
「中之条での暮らしから生まれた作品を作りためて、ここで展示したい」
それを、私も見てみたいです。