「あんじゃーねえ」とは「案ずることではない・大丈夫だ」という意味の方言。群馬県内で他にも使う地域はあるようだが、こと中之条町の年配の方には体に馴染んだ言葉。「なっからはえーけどいーかい?(だいぶ早いけど大丈夫?)」「あんじゃーねえ」のように使われている。
中之条町ふるさと交流センターつむじ内にある雑貨店「anjarne(アンジャーネ)」の店主、五十嵐里恵さんは、みなかみ町の出身。「あんじゃーねえ」という言葉を中之条町で初めて聞いた時、フランス語を聞いたようなインパクトがあった。「意味的にも、先行き不透明な自営業を始める上で安心する名前だなって。外からここに来たからその言葉が気になったこともあるし、私と中之条とを繋げる言葉でもあるので店名にしました」と五十嵐さん。発想力の豊かさは、商売にも活かされている。
店には、五十嵐さんが目利きした個性あふれる雑貨が並ぶ。人気商品の今治メイドのハンカチは、布の端から澄まし顔のイエティーがぴょこんとはみ出ている。愛玩動物の造形をした貯金箱は、名前をつけるタグも付いているのに、お金を出すためには破壊するしか方法がない。贈り物を選ぶ時にも、他では手に入らなそうな雑貨が並ぶ。
五十嵐さんの独自の選択眼は中学校で開眼した。幼少期は極度な人見知り。人と顔を合わせることが恥ずかしくて、ガラス工房「月夜野びいどろパーク」の販売員として働く母親の足元に隠れていた。お絵描きばかりしていた少女が中学時代に熱中したのがインターネット。自宅で深夜まで面白いコンテンツを探しては、学校で友達に広めた。やがて「五十嵐は面白いものを見つけてくる」と友人内で認知されるまでになった。
雑貨は、自分で買うものではなく、自然と集まってくるものだった。中高生の頃、周囲から変わり者という認知をされていた五十嵐さんは、友人たちから個性あふれる雑貨をもらうようになった。ムキムキの男性の裸が印刷されたトランプやエプロン。なかでも誕生日プレゼントにもらった目玉の形を模したグミに至っては、食べてお腹をこわし、半日を寝て過ごしたというエピソードまである。
大学卒業後に勤めた書店では、雑貨コーナーを任された。仕入れや検品など雑貨販売の基礎を学ぶも、長くは続かなかった。いろいろな仕事を転々として思ったことは「自分には一人で熱中できて責任がとれる仕事の方が向いているのではないか」ということ。自分のミスを上司がカバーしてくれることに罪悪感を感じ、責任感の強さから「よそで働いている間はずっと、どこかから血が出ていた」と語る。
大きな挫折もあった。ガラス工房に勤める母親の影響で、ガラス工芸に興味をもった。そしてガラスの勉強ができる女子美術大学に進学。熱意はあったが、出来上がった作品は五十嵐さんらしい個性的なものであったようだ。例えば、精神的なつながりをイメージして作ったガラス・・をわざわざ割って、それを樹脂で閉じ込めた作品。自分の世界に没頭するあまり就職活動の波に乗り遅れ、地元の「月夜野びいどろパーク」には当時求人がなかったこともあり、好きなガラスから身を遠ざける結果となった。そうして職を転々とし、弱っていった五十嵐さん。彼女を救ったのは、ふるさと交流センターつむじでの出会いだった。
現在中之条駅前で「大衆酒場ニューサイトウ」を営む齊藤奈緒美さんは同級生。当時はまだつむじのテナントで営業をしていた。5月、芝生も青いテラスで齊藤さんが作るランチを食べていたら、気持ちの良い風が吹いた。頻繁に通うようになり、通うのが大変だからと、仕事をやめたタイミングで中之条町で一人暮らしをはじめた。店がすくと集まった皆でトランプをした。「大人になってもいい友達ができることを知った。遅れた青春を取り戻したんです」と当時を振り返る。ついには、そこで知り合った男性と結婚をした。
やがてつむじのテナントが空くことを知り、ここで店をやりたいと思った。そうして、五十嵐さんの個性をぎゅっと閉じ込めたような雑貨店「anjarne」はオープン。夫や家族の協力もあり、気づけば開店して3年半が過ぎた。「1年で潰れる覚悟もしていたので、続いたことに自分でもびっくりしています」と語る。今の仕事は、全部を自分で決められて全部自分に責任があるから、ストレスフリー。
五十嵐さんは今、一度は離れたガラス作りに再挑戦している。「諦めたままで良いのかなって思って」と、まだ練習中で売り物にはならないというガラスの小品を見せてくれた。電気で使える中型のガラス窯を購入し、試作をはじめている。今後は中之条町のオリジナルグッズも作ってみたい。体力を使う作業ではないのでずっと続けることができる。彼女が最後に言った「今から始めても全く遅くない」という言葉が強く印象に残った。
人生において、停滞や挫折から逃れることはできない。そんな時は「あんじゃーねえ」と自分に言い聞かせて、マイペースに進んで行けると良い。今から始めても全く遅くない。