ニューサイトウ|神谷潤一郎(かみや じゅんいちろう)/齊藤奈緒美 (さいとう なおみ)

  • 2024年3月3日
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吾妻線に揺られ、夜、中之条駅で降りる。駅前には光を放つビルや見知ったチェーン店はなく、情緒があると言えば聞こえは良いが、少し寂しい。いや、駅に隣接する建物に灯りがある。「ニューサイトウ」と書かれた白い暖簾を潜ると、広く明るい店内。若者から年配者まで、各々に酒や料理を楽しんでいる。ジョッキに注がれるビールは四万温泉で醸されている「四万温泉エール」。地元の野菜を使った和洋折衷色とりどりの料理。店内を忙しく切り盛りするのは、神谷潤一郎さんと齊藤奈緒美さん。

中之条町に生まれ育った奈緒美さん。「中之条駅は高校生の時に使っていました。ここで店を開くとは全く思っていなくて、ましてや中之条に戻ってくるとも思っていなかった」とはっきり。それは奈緒美さんに限った話ではなく、駅前の一等地にも都市部にあるような華やかなものが一つもない中之条町。高崎市や前橋市といった県内での都市部、あるいは電車に揺られればすぐにいける東京などに行きたいと思う若者は、昔も今も少なくない。
高校卒業後、奈緒美さんは高崎市内の飲食店で働き、その店に来たお客さんから「静岡に店を出そうと思うのだけど、オープニングスタッフにならない?」という誘いを受け、身も軽く飛んで静岡へ。静岡に憧れがあったわけではなく「自分のことを誰も知らない場所に行きたいと思っていた」と当時を振り返る。

その一方。潤一郎さんは生まれも育ちも静岡県静岡市。街中で飲食店の店長を勤め、奈緒美さんが働いた飲食店とはオーナーが仲良し同士。両オーナーを介して奈緒美さんと飲み仲間になった。30歳に差し掛かる時、このままここで飲食店を続けていくのかどうかを考えた潤一郎さんは「生まれてずっと静岡しか知らないから、どこでも良いから違うところに住みたい」と思うようになり、当時まだ友人だった奈緒美さんに相談。そこから2人の人生は、中之条町へ向かうことになる。奈緒美さんから彼女が生まれ育った中之条町で「地域おこし協力隊」を募集していることを聞いた潤一郎さんは応募し、採用。奈緒美さんを静岡に置いて先に中之条町に移住し、地域おこし協力隊として中之条町で2007年より行われている国際現代芸術祭「中之条ビエンナーレ」の運営スタッフとなった。

「飲食店で働きながら、自分で店を持つことは絶対にやりたいことだった。28歳で店を持つという目標はあったけど、それが少し前倒しになったんです」と話す奈緒美さんは、潤一郎さんの後を追うように中之条町にUターン。中之条町営の商業施設「つむじ」のテナントに空きができ、そこに店が出せるということも後押しした。そうして2人の中之条での生活がはじまり、お付き合いもはじまり、2015年に「キッチンさいとう」がオープン。潤一郎さんは昼の協力隊の仕事が終わると夜、店の営業を手伝うようになった(現在、つむじの「キッチンさいとう」は奈緒美さんのお母さんが後を継ぎ、営業を続けている)。

潤一郎さんは「静岡から中之条に来た時に、駅に一番近い建物がずっと空き家になっていたので、それは寂しいなと思っていました。まずは駅前が賑やかに、灯りがついていることが大事だろうなと思って」と話す。地域おこし協力隊の3年という任期が終わり、今後どう生活していくかを考えた2人が出した答えは「中之条町で2人で店をやる」というものだった。つむじのテナントは狭く、売り上げも考えて広い空き店舗を探していたところ、現在「ニューサイトウ」がある駅前のあの物件に目がいった。「彼女しか知らない状態で中之条へ来て、地域おこし協力隊やこの店をやったからこそ知り合った人がたくさんいる。今は仕事と生活のバランスも良く穏やかに暮らしています。仕事終わりが遅いので起きるのは昼前ですが」と話す潤一郎さんを見て「昼過ぎまで寝てるよね!」と奈緒美さんがツッコミを入れる。

話の最後に奈緒美さんが「昔はほんとに地元が好きじゃなかったというか、早く出たいし戻るつもりもなかったので。でもいいところだなと思います。大前提に家族がいるっていうのが大きいですよね。戻ってきてみてそれを取り巻くすべての環境がというか・・この年にならないと気づかなかったのかなとは思いますけど、いいところだなと思います」と呟いた。「ニューサイトウ」は、多くの人に愛される店に育っている。