野反湖うらやまガイド|木村 正臣(きむら まさとみ)

  • 2024年3月18日
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「人はなぜ山に魅せられるのか」という問いは普遍的とも言える問いであり、過去様々な冒険家や写真家、作家たちがその問いと向き合ってきた。その心境にまで達さずとも、中之条町を訪れた人ならば「山がきれい」と思うことはあるだろうし、中之条町で生まれ育った人ならば「周囲に山がないとなんだか落ち着かない」と思うこともあるだろう。今号では、山との接点を持つ人たちを訪ね歩き、彼らを通したこの町の自然を伝えていく。

自然を伝えるなら自ら体験すべし。野反湖うらやまガイドの木村正臣さん案内のもと、チャツボミゴケ公園から芳ヶ平湿原にある山小屋の芳ヶ平ヒュッテまで、スノーシューを履いて片道6時間におよぶ横断を行った。時は3月上旬。降雪も少なくなり、けれど道や山にはまだ雪が残っている季節。スノーシューは西洋かんじきとも呼ばれ、靴に装着すると雪との接地面積が増え、そのことにより足が深くまで沈まない。木村さんから使い方を一通り教わり、ストックを両手に雪の上を歩くと、ザクッザクッという小気味よい音と共に足の裏に独自の感触が伝わる。「お、これこれ」と木村さんが指す地面を見てみると、雪の間から薄緑色のフキノトウがひょっこり顔を出していた。
2017年には国の天然記念物となったチャツボミゴケ公園。酸性の温泉水が流れる場所のみで育つというチャツボミゴケは深い緑色で、場所によっては昼間でも蛍光色のように明るい緑色を放つ。雪の上を歩き、他のシーズンでは見られない角度から苔が見られるのも今の時期の特権。「温泉大滝より上流は苔が多くて、下流に苔が見られないのは、川を流れている温泉成分の二酸化炭素が飛散しちゃって光合成できないからなんです」ポイントごとに聞く木村さんの案内が、幻想的な景色に輪郭を与えていく。
木村さんと、奥さんの多恵子さんがガイドを行うチャツボミゴケツアーは、中之条町観光協会が行うツアーの中でも人気が高い。木村さん夫婦は六合に暮らし、天空の湖と言われる野反湖や、群馬・長野・新潟の3県に跨る上信越高原国立公園のガイドをしている。現職に就く以前、木村さんは六合の入山小学校の教員をしていた。仕事のない日は、テレマークスキーを持って近くの芳ヶ平や近隣・遠方の山々へ。今回の道のりの途中でも「このスキー跡は六合山岳会の誰々さんだな、こっちは草津の誰々さんだ」と言い当てる。まるで自分の庭のように、芳ヶ平の色々を知り尽くしている。

スノーシューを履いての上り坂はきつい。雪の柔らかい場所では深くまで足が入ることもあり、先頭を行く者はなおさら一歩一歩が重い。3時間も歩くと口数は減り、変わりに谷間を抜ける風の音やシジュウカラの軽やかな鳴き声など、身の回りが自然の音に包まれる。ふと、目の前にぺらっとした紙のようなものが落ちている。樹皮だ。大きなものでは30センチにもなろうか。木村さんが「これは白樺に似た木で岳樺(ダケカンバ)という木の樹皮。風に吹かれただけで剝がれ落ちるんだね」と説明してくれる。他にも、見た目はふわふわしていそうなのに、触るとトゲトゲしい固さがあるサルオガセ。これは菌類と藻類が共生している糸状の生物なのだそう。また一つ上り坂を上り終えた。「冬の間は木々の葉が落ちて、遠くの山がきれいに見える」と木村さんが眺めた先には、横手山を含む群馬県境の雄大な稜線が連なっていた。

芳ヶ平ヒュッテまでの中間位置にある大平湿原で急に視界が開けた。それまで生えていた木々が線引きされたようになくなり、目の前に広がるのはただまっ平な雪原である。ここで昼食時間となり、参加者各々でおにぎりやパンなどをリュックから取り出し、しみじみとほおばった。気持ちも高揚し会話も弾む。

木村さんが生まれ育ったのは大阪だが、両親は群馬の笠懸と桐生の出身。夏休みには祖父母の家に来てカブトムシ獲りもした。大学時代、山への憧れから長野の教員を目指していたが、幼い頃親しんだ群馬にも良い山がたくさんあることから群馬の教員となる。新任地は玉村町の小学校。最初は祖母の家に居候をしていた。山に魅せられたきっかけはスキーだった。人の多いゲレンデスキーに飽き、当時流行り始めたテレマークスキーを始めた。最初にバックカントリー(管理されたエリア以外の山)を滑ったのは尾瀬の至仏山。会津駒ヶ岳や燧ヶ岳など様々な名山も回った。後に六合の入山小学校で教員となった理由の一つには、野反湖や芳ヶ平の自然と向き合う山暮らしへの憧れがあった。
25年間勤めた教師という教える仕事、その間の山遊び。自然ガイドになるきっかけは人からの誘いであったが、木村さんがこの場所でこの仕事をすることは、天職以外の何物でもない。
「芳ヶ平の良さ・・何だろうね。手軽なところかな。尾瀬はバスを使ったり人込みの中を行くから自分の中では何か遠い。ここなら夏は手軽に来られるし、人がいないシーズンや人がいない場所も楽しめる。ガイドがない時も、何回も来てるよ」と笑顔で語った。

そろそろ行きますか、という一言で再びスノーシューを装着した。芳ヶ平ヒュッテは、まだ遠い。