インターネット検索で「移住定住 群馬県」に関係するページを閲覧する。「実は群馬県は物価水準が日本一安い県です(総務省・小売物価統計調査・平成29年)」「待機児童数は、毎年ほぼ0人」「平均住宅家賃が東京都の1/2以下」・・なるほど、住みやすそうな県である。けれどネットを駆使していくら調べてもわからないことは山とある。例えば、自分が暮らす家の隣人がどんな人か?・・とか。
「中之条っていいとこだけど、日本全国いいとこあるじゃないですか。なんで中之条を選ぶのかって、最終的には人なんですよ。仲良くなる人を現地で作れるかとか」
中之条町で移住・定住コーディネーターとして活動する久美子さんはそう語る。移住者が居住をはじめる際には、隣近所への挨拶回りにも同行する。中之条町のような田舎町では、それが重要であることを知っているからだ。
久美子さんは中之条町の隣の長野原町生まれ。高校卒業後、東京でタレントのスタイリストの職に就いた。充実していたが、完全な休みは半年に一度という多忙さ。25歳になり、そんな忙しさからの息抜きで地元に帰った時、中之条町出身の悟さんと出会った。
悟さんとの結婚を経て、10年前に中之条町に移住。中之条町内外に顔見知りが多い久美子さんを知る人は「まだ10年?誰よりも中之条町民っぽいのに!」と驚く。アクティブな久美子さんは移住後、中之条ビエンナーレのボランティアスタッフをきっかけに2016年、町が当時探していた移住・定住コーディネーターに自ら志願。当時はまだ移住が今ほどブームではなく、県内2人目の移住・定住コーディネーターとなった。
「都市部だったら2拠点居住も流行っているけど、中之条に来るのは気合を入れないと。やりたいことがある人は応援する、やりたいことがない人は断っています。まだその時期じゃないって」
実は、今号の冊子に登場したすべての人物は、久美子さんと関わっている。中之条ガーデンズの森山夫婦とは一緒に住居を探した。久美子さんは不動産取扱の資格を持ち、町の「空き家調査」も行っている。森山さんが住む物件もその1つだった。ニューサイトウは、駅前という立地からたまに「中之条に住んでみたいんですけど」というお客さんが来るらしい。そんな時は店から久美子さんに直で電話が来る。篠原夫婦とは一緒に不動産屋を回った。のんびりした2人を先導し、近所の挨拶回りを済ませた。ザ・ブルー・リボンのジェシーさんとの出会いは特に忘れがたいという。ある日突然役場から電話がかかってきて「今アメリカから来た方がいるので対応お願いします」「日本語は?」「いけます」「じゃあ行きます!」というやりとりをした。会うとジェシーさんは開口一番「僕はね、ピザとビールを作るのが得意だからお店をやるよ!」と言い、その日のうちには久美子さんも本気で店舗開店までのサポートをする決意をした。ランゴリーノに至っては、移住の相談を受けながら、店の人手が足りない時は移住・定住コーディネーターとしてキッチンに入った。もはや、移住者みんなのお母さんと呼ばれてもおかしくない。
久美子さんの行動力は、移住促進にとどまらない。「移住・定住コーディネーター5年目なんですけど、空き家を人に斡旋しているうちに、自分で空き家を取得して改修してみないと本当の気持ちはわからないと思ったんです」と語る彼女は2020年、町内でとうに営業を終えていた「かたや商店」という古い木造一軒家を買い、大改修を行った。SNSで改修の応援を募ったところ、移住してから知り合った30人ほどの友人が集まり、掃除や壁塗りを手伝ってくれた。現在は「かたや」という屋号だけ残し、つむじを出て店舗を探していた和定食の店「おてのくぼ」が営業、ゆくゆくは中之条ビエンナーレのアーティストが滞在できるレジデンスとしても活用していく。話の最後を、久美子さんはこう締めた。
「中之条には、自分でやるには勇気が足りないけど、背中を押してあげたら面白いことができる若い世代がいっぱいいると思っているんで。私が責任とるからやってみろって。そうやって、この町が面白くなれば良いなと思っています」