2024年6月、中之条ビエンナーレ会場にも使われている旧廣盛酒造で「アートフェア中之条2024」が開催された。運営委員長は2023年に中之条町に移住した西島雄志さん。副委員長を山形敦子さんが務め、このアートフェアに参加した47組の作家には先に紹介したクレモモ、佐藤令奈さん、古賀充さん、相田永美さん、ほかほぼ全ての中之条町移住作家が含まれていた。ギャラリーが仲介しない作家主体の芸術市。中之条ビエンナーレと異なるのは、作品に値札があり購入できること。9日間という短い期間ではあったが、会場は中之条ビエンナーレファン、作家が日々親しくしている町民、自身達で発信したSNSやウェブ版美術手帳等の情報を見た来場者で大いに賑わった。1000点あった作品の半分が売れたというから脅威的だ。西島さんは改めて、中之条ビエンナーレファンの熱を感じたという。
「中之条ビエンナーレはもう20年近く続いていて、自分も含めて何度も参加する作家が多い。前回の作品と比べてがっかりされないようにという良いプレッシャーもあり、毎回新作が展示されるので各作家のファンが熱心についてきてくれる。アートフェアは、僕がやったというよりはそれを欲している状態が出来上がっていたので、ボタンを押したくらいの感覚です」
彼の作品は、指先を器用に使って一本の銅線を渦状に巻くことから始まる。日々銅線を持ち歩き、何十個、何百個、何千個と巻いていく。ロウ付けという溶接に近い技法で個々を接着し、時に人間の数倍の大きさの作品を造形する。移住後の中之条ビエンナーレで発表した鳳凰の《吉祥》、ニホンオオカミの《真神》は圧倒的な美しさを放ち、以後中之条町以外でも「国際芸術祭BIWAKOビエンナーレ」や銀座の「ポーラ ミュージアム アネックス」等に出展、精力的に作家活動を行っている。
《吉祥》は現在、四万温泉ゆずりは地区にあるホテル「SHIN湯治 ルルド」で鑑賞することができる。宿泊をせずとも鑑賞は可能だが、湯上り後の静かな時間に作品と一対一で向き合うのも良い。経営者である関良則さんは、中之条ビエンナーレでこの作品を見てすぐに、これを身近に見られる場所を作りたい、と購入を決めた。関さんはルルド以外でも、四万川の観光スポットである甌穴に建てた「オウケツテラス」に西島さんの龍の作品《瑞雲》を展示するためのギャラリーを建設。2024年に新たにオープンした「叶 KANOUYA 四万温泉」でも鹿の作品《環》を展示している。関さんは「上毛カルタに、世の塵(ちり)洗う四万温泉、という札がある。四万に来てもらい、温泉で元気になったり、料理で元気になったり、アートで元気になったり。色々な形を展開していきたい」と語る。
意外なことに、西島さんの作品が売れるようになったのは5年ほど前から。そもそも、自分の作品を集中して制作する状況がなかった。30歳から20年もの間講師を務めた美術予備校「すいどーばた美術学院」では彫刻科の主任を務めた。就職当時他の美術予備校より内情や成果が劣っていた同校を、美術予備校最大手にするまで内部改革にも尽力した。
銀座で毎年個展も行っていたが、何十万円と費用をかけても来場者は1週間で200人程度。たまたま見に行った知人アーティストの個展に、中之条ビエンナーレ2011の募集要項があった。芸術祭に興味があった西島さんは応募し、山奥の富沢家住宅で初の滞在制作を行った。以後も出展を続け、2017年時に作成した鹿の作品《空》は図録の表紙を飾り、それをきっかけに自身の作品に注目してくれる人が増え、ギャラリーからも声がかかった。「予備校で定年まで働いて、そこからアーティストになりますって言っても遅い。やるとしたらチャンスは今かなっていうのがあった。自分は、中之条ビエンナーレに育ててもらった感じがすごくある」と西島さん。
2021年、始めに移住したのは東吾妻町。新巻地区にあった民家をリノベーションし「ギャラリーカフェ ニューロール」を立ち上げた。自身の作品や、自身が注目するアーティストの作品が見て買える場所として、現在も定期的に展示を行っている。そして現在は、西中之条に新たな活動拠点となる古民家を購入。そこで暮らしアトリエとして使いながら、自身の作品が常に鑑賞できるギャラリーを併設させるべくリノベーションを行っている。
「移住した先のことを考えた時に、そこから派生したものを作りたいっていう思いがすごくある。作家一人だけの力では難しいけど、この町には面白い作家たちがいる。中之条町が持っている資源、景色の良さ、温泉の良さ、人の良さ。そこにアーティストが集まり面白いことが加われば、新たな観光資源にもなる」
今号では、移住作家の目を通した中之条町を見てきた。人口減少、生きがいの喪失、人工知能による仕事の減少など、目をつむっていても入ってくるネガティブなニュースとは対照的に、彼らは常にクリエイティブの方向、明るい方向を見ていた。それは、第10回を数える中之条ビエンナーレが点から線となり面となりその先に進んでいる経過であり、中之条町が豊かであるということの再確認でもあった。
そしてまた、芸術祭の幕が上がる ―