ティグルカラン tigre calin|関 寿々花 (せき すずか)

  • 2024年3月11日
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幼い頃の記憶はどこまで辿れるのだろうか。小学生の頃、初恋以前の、あの子が気になる気持ち。誕生日に買ってもらったお気に入りのおもちゃ。もっと以前、まだきちんと言葉も発せられない頃に、母親があなたをやさしく撫でた光景をぼんやりと覚えている人もいるかもしれない。大人になり時が経てば経つほどに、幼い頃愛された記憶は、替えが効かない大切なものだと気付く。

中之条町ふるさと交流センターつむじ内で昨年夏にオープンした「tigre calin(ティグルカラン)」は、子ども服と婦人服・雑貨のセレクトショップ。子ども服にいたっては0歳児から小学生までの広い年齢に対応し、中之条町で子育てをするお母さんはもちろん、センスの良さや手を出しやすい価格設定により、町外から足繁く通うお客さんもいる。どういう服を着せたら良いかわからないという親御さんにとって、コーディネートのみならず子育ての相談にまで乗ってくれる店主の関寿々花さんは、心強い存在だ。

父親の生まれが中之条町。鉄道の仕事で東京に勤務するも、中之条の祭りが大好きでその度に実家に戻り、頭(かしら)も務めた熱い父親。父の影響でお祭り好きに育った関さんが生まれたのは千葉県柏市。家族と共に9年間をそこで過ごし、小学3年時に中之条町へ引っ越した。都会から田舎へ。電車の本数の少なさに驚き、給食が美味しかった事を今も覚えている。安中市で中学高校時代を過ごし、大学は東京へ。専攻には保育を選んだ。

子どもが大好き。兄弟の中では自分が一番下で、柏市の社宅でも周囲の子どもの中で自分が一番幼かった。お兄さんお姉さんとばかり接してきたので、年の離れた幼い従兄弟2人がとっても可愛かった。大学卒業後は東京の幼稚園で働いた。常に子どもがそばにいて幸せだったが、自炊や洗濯に手が回らない程忙しい日々が続いた。

子どもが好きな一方で、洋服に対しても並々ならぬ関心があった。その関心は、スイミングコーチから上場企業の子ども服店店長までをパワフルにこなす母親の影響がある。
「幼い私は母親の趣味で落ち着いた服を着せられていました。当時は他のものが着たいとも思ったけど、だんだん私も好きになっていったから、母親が選んだ服がなければ、今自分が選ぶ服のセンスは変わっていたと思います」と関さん。東京の洋服店へも2人で出かけ、服を交換するほどに仲が良い。

保育の仕事で多忙を極めた関さんを支えたのは、中之条町出身の彼氏だった。共通の知り合いがおり、東京と群馬で遠距離恋愛。彼は仕事の合間に群馬から東京まで通って、仕事で疲れ切っている関さんのご飯を作ったり、掃除や洗濯をしてくれた。2人は結婚。頑張ってきた仕事をやめる事には抵抗もあったが、中之条町へ戻ってきた。子どもが生まれてからは、親子の時間も大切にしている。

中之条町でも保育の仕事についたが、保育園無償化のあおりを受けて閉所。そのタイミングで、「子ども服の店をやりたい」という気持ちに抑えが効かなくなってきた。当時つむじのテナントだった「Saba-ba」店主の鹿野さんとは子ども同士が同級生。ここでの仕事なら、子どもと一緒にいる時間も作ることができる。鹿野さんが店を外に移すタイミングで、勢いで出店の応募を出した。
世の中の状況はコロナ禍、夫とも親とも大喧嘩をした。学生時代に留学を諦めた経験もあり、これを諦めたら私の人生は全部諦めで終わる、と思った。本音での話し合いを経て、最後は関さんの本気に家族が折れることとなった。開店後は、みんなが協力もしてくれている。

保育の仕事が長かった関さんは、子ども服に対して、保育士目線からのアプローチもできる。「着せにくいので後ろボタンはNG。成長が早いので大きめのサイズを着せがちですが、歩行時に危ないので合うサイズを選んで。フード付きの服もかわいいけど保育着には適さないです」と熱く語る。おしゃれをしないで、という意味ではない。「休日は思う存分おしゃれをさせて、普段は機能的な服を選ぶ。でも、機能的な服もファストファッションでよそと似通ってしまうのではなく、諦めない保育着を選んでほしい」と関さん。「ティグルカラン」には、休日のおしゃれ服と、諦めない保育着の両方を揃えている。

店名は造語。「ティグル」はフランス語でトラ、「カラン」は甘える・ハグするという言葉。「トラは親子の象徴。フランスの子どもはママに抱きしめて欲しい時に、カランして! みたいな言い方をします。親子の絆を大事にしたいと思い、この店名にしました」と関さん。
店には、母と子で着られる素敵なペアルックも、お手頃価格で置かれている。品の良いペアルックを着たお母さんと子ども。その写真を1枚、残しておく。その子が大人になった時にその写真を見て、当時の記憶を思い出すことはできないとしても、自分が愛されていた事は実感できるに違いない。