「この旅館の〝木の柱〟が凄いんだよ」と聞いていた。聞いてはいたが、実際に目で見るのはやっぱりぜんぜん違う、と思った。その様子を一言で表すなら、森のなか―。
六合の山間にある一軒宿『花敷の湯』。ここの別邸が、どうにも凄いという。
旅館とは少し離れた場所にあるというので、まずは本館から。
趣のある表門には暖簾(のれん)が涼しげに揺れる。館内のそこここを飾る、ワラジ、背負子(しょいこ)、臼などの昔ながらの暮らしの道具。六合を代表する「こんこんぞうり」、「スゲムシロ」などが、現代の雰囲気の中に独特の味わいを与えている。一部屋に贅沢に間をとった客室には、和と洋が同居する。二つの貸切露天風呂は、季節ごとに変化する山の空気と、川から吹く爽やかな風を楽しみながら。小さな宿ではあるけれど、まさに「隠れ家」という言葉がぴったりの、落ち着いた心地よさを感じられる湯宿だ。
そして冒頭の「大木の館 囲炉裏の庵」。そこは夕食をいただくための建物だといい、まさにその日のクライマックスに相応しい空間だった。
一歩踏み入れば、一瞬、戸惑うかもしれない。隆々とした太い樹が何本も、床を突き破り天井へと〝生えて〟いる。抱きつくように手を回しても到底囲いきれないほど太い幹。その表面は生々しく生命力を放っている。ごつごつ。滑らか。筋張って。そして床にはたくさんの囲炉裏。ここはどこ? すっかり日本のおとぎ話のなかに迷い込んだような気分だ。巨樹の精気が充満しているような、濃密な空気。たしかに凄い。
圧倒されていると、旅館の主人の山田豊さんが奥から顔を見せた。お客さんに出す夕食の支度中という。「このあと山に食材を採りに行かなくちゃならない」ごく普通の会話に、なぜだかすこしほっとする。
この一風も二風も変わった建物を建てたいきさつを訊くと、
「六合村は昭和30~40年代には林業が盛んで、父も材木屋でした。そんなときこういう面白い木が何本も集まって、後世に残すことができないかと考えた父が建てたんです。木はこのまま原木で使ったら面白いだろうな、と。それと、六合の風土に合った昔ながらの囲炉裏も一緒につくって…」木はすべて、六合の白砂山から伐り出してきたものだそうだ。
ここで出される「囲炉裏深山懐石料理」もまた、興味を引かれる。調理で使われる六合伝統の大きな囲炉裏も「かたくなに」守り通している。海の食材は使わず、すべて地元の山のものを使うというこだわりぶり。近くの山から採った山菜、きのこ、六合の固有種である地場野菜。自分で畑を耕しもする。山菜はできるかぎり、普段食べられないような珍しいものを、工夫して出している。こういった豊富な山菜の知識は母から伝えられたものだそうだ。デザートも山の実などを使ってつくる。「ゆすらご(ゆすらうめ)、コハゼ、ドドメ(クワの実)、赤や黄色の木苺…」こちらが感動していると「すべては『伝承していくべき、残すべき』高尚なのものじゃぁないんさ」と事もなげ。でも、それこそ、その季節にその場でしか口にできない、究極の贅沢なんじゃないのか。
花敷温泉には、鎌倉時代、源頼朝が狩りで訪れたこの地で温泉を見つけ、その湯舟一面を敷き詰めるように桜の花びらが覆う光景から「山桜夕日に映える花敷て、谷間に煙る湯にぞ入る山」と詠んだという伝説がある。「日本で一、二を争う美しい名前の温泉じゃないかと思う。ここにお客さんが来てくれることが一番の喜び。自分の体が動くうちは温泉を守っていきたい」
父が建てた館と母から伝授された山の知恵を繋ぎ続ける山田さんの想い。花敷の伝説に、新たに加えられる物語を見た気がした。
六合の奥山、花敷の地で、あなたなら何を発見するだろう。
花敷温泉 花敷の湯|山田 豊(やまだ ゆたか)
- 2024年2月4日
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