群馬県中之条町で2007年から始まった国際現代芸術祭「中之条ビエンナーレ」は、2025年の開催で記念すべき第10回を数える。国内外から数多くのアーティストが参加し、前回開催時には過去最高、延べ48万人の入場者数を記録した。使われなくなった酒造や廃校、重要文化財の民家等に展示される作品は滞在制作で作られ、国内最大規模のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムにもなっている。
芸術祭として高い評価を得る一方で、その延長上で起きた特筆すべきことがある。参加したアーティストが新たな活動の場を求め、中之条町に移住するケースが多いことだ。移住アーティストたちは自身の制作活動のほか、日常でアートに触れることができるギャラリーを運営したり、町内の旅館等とコミッションワーク(委託制作)を行ったり、インターネットラジオを立ち上げてアート情報を発信したりしている。今回のナカビトは、それら移住アーティストの思いを聞くことで、彼らを通して見えてくる新しい中之条町の魅力をお伝えしたい。
全国に知られる名湯・四万温泉。温泉街の一番奥、日向見地区にある「湯の宿 山ばと」は地産地消を大切にする常連客に愛される宿。地場野菜や上州牛の料理を堪能しながら、移住作家である山形敦子さんと、アートユニット・クレモモの作品が飾られた2つのアーティストルームにも泊まることができる。女将とアーティストと建築家が意見を交換し、その客室のためだけのオリジナル作品が作られた。山形さんから、彼女が関わった客室「いわかがみ」で話を伺う。
「この部屋を改装するにあたり、3世代がみんなで泊まって子どもから祖父母までくつろげる部屋、というコンセプトを伺いました。基本的には四万ブルー(四万の湖や川の青色を指す言葉)を基調として、四万や町にいる動物、山を見て私が感じたことを一個一個形にしていきました」
2つの部屋を1つに合わせた広い空間には、心温まる鮮やかな作品が点在する。壁にかけられているのは蚕の飼育に用いられる蚕箔(さんぱく)という容器。六角形のすき間に山鳩や鹿などの動物が描かれている。ベッドの上には山形作品の代名詞とも言える接着剤を用いたシンボル的な絵画。窓に設置された作品は、外光がない時はただ暗い障子紙だが、朝日と共に光に透けた生き物たちがわーっと立ち現れる。「夜チェックインした人が朝になって驚くとか。闇に紛れるっていうのも自然の循環に合って良いかなって」と山形さん。取材を見に来てくれた山ばとの女将・山口良子さんが語る。
「泊まった時しかわからないのが楽しい。中之条町に移住した山形さんが町をテーマにして作品を作ってくれた。アートって普通、展覧会を見に行ってその時間だけじゃないですか。この絵を見ていたら嫌な雰囲気にはなれないんじゃないかな」
山形さんは札幌に生まれ、東京での生活を経て制作の場をフィリピンに移した。6、7年におよぶ制作活動で現地のアートシーンにも馴染み、今でもフィリピンで展示を行うことがある。「フィリピンにいれば声をかけてもらい作品を発表し続けられることは分かっている状態。そこを離れるのはすごい葛藤があった。中之条町への移住前に中之条ビエンナーレに2回参加して、日本というか中之条町をベースにやっていく覚悟ができた」
2021年に移住。現在は同じ移住作家でありパートナーである西島雄志さんが運営する「ギャラリーカフェ ニューロール」を手伝ったり、クレモモの根岸桃子さんと共に「アートのはなし こけラジオ」というインターネットラジオを続けている。アーティストをゲストとして招きインタビューも行い、中之条ビエンナーレファンを中心に熱心なリスナーが増えてきた。
山形さんの大切な活動として中之条町の「文化財専門委員」がある。中之条町には縄文時代の遺跡が数多くあり、戦国時代の城址や天然記念物の大樹も多い。文化財専門委員は町内にある文化財の保存状態を調べ、町の広報誌にそれらを紹介する活動を行う。中之条町に限らず多くの地域でそれを担うのは、町の色々を知る高齢の方たち。山形さんの年代での参加は異例ともいえる。
そのきっかけとなったのは2023年の中之条ビエンナーレにおいて、神保家住宅「やませ」で展示した作品《消えゆく土地の記憶》を作る過程にあった。展示した土地周辺の口伝でしか残っていない地名を調べ、今どうなっているかを見て回った。「人が集まる場所だったり井戸だったり、地名から場所がうっすら想像できるんですよ」と山形さん。それらの地名と見た景色を1つ1つ、透明な直方体のオブジェにした。古民家の暗がりに、灯りに照らされた土地の記憶が浮き上がる。その作品は中之条ビエンナーレの図録の表紙も飾ったので、目にした方も多いに違いない。
リサーチの過程で相談した中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の山口通喜館長から文化財専門委員の話を聞き、欠員が出たと知って手を挙げた。先輩達から聞く話はどれも面白く、文化財については今調べておかないと、今聞いておかないとそれを知る手がかりが無くなってしまうという危機感を募らせている。「現地まで足を運び調査をして忙しくしています。すごくありがたいのは、私がやっている活動は全部作品になると思うんですよね」
町の外から来たからこそ、アーティスト視点だからこそ、見えてくることがある。山形さんは今日も町を歩く。
美術作家• 文化財専門委員|山形 敦子 (やまがた あつこ)
- 2025年3月25日
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