便利な現代、野菜はスーパーマーケットに行けばたいていのものはすぐに手に入ります。手に取りやすいように整然と並んでいる光景に、私たちは当たり前に見慣れすぎてしまっています。そのために、野菜がどのようにできるのか、どんな人の手で、どんな思いで作られているのか、考えることも少ないかもしれません。野菜それぞれが、いったいどんな歴史を歩み、私たちの元にやってきたのか、も。
伝統野菜は、そんなスーパーに並ぶ野菜とは対照的な存在といえるかもしれません。地域で古くから栽培されてきた固有種であり、長い年月をかけて、その土地その気候に適して進化してきたため、ほかの地ではうまく栽培できないこともある、貴重なものです。種は基本的に市場に出回ることなく、人から人へと代々受け継がれ、栽培し続けることでのみ保存されています。それは、栽培をやめてしまったり、悪天候などで採種ができなかった場合には、その野菜はこの世界から完全に失われてしまう、ということでもあります。
六合の田代原で農業を営む山口英義さんは、いまも伝統野菜を作り続けているひとりです。
中之条町にはいくつかの伝統野菜があります。
山口さんが作っているのは、幅広(はばびろ)インゲン、入山(いりやま)きゅうり、それと花インゲン(花豆)。
「幅広インゲンは、見た目はモロッコインゲンとよく似ているんですが、一回り小さいんですよ。甘みと柔らかさが違いますね。ただ、栽培するのに30度以上の高温に遭うと、とたんに質が落ちちゃう。だから、本当に涼しい気候でないと栽培ができないんです。場所を選ぶんですよね。
入山キュウリは、身が柔らかいのと、香りがものすごく高い。メロンに近いような香りがします。水分が多いのも特徴のひとつですよね。見た目には太くて、トゲトゲの部分が黒いんです。時間がたつと黄色くなって、甘みが増します」
なかでも、花豆の品質は特別だといいます。寒冷な場所を好む花豆は、北海道や東北、北関東の高地の各所でも栽培されてはいますが、六合の花豆は、その大きさとホクホクの食感が大きな特徴のひとつです。
それは、この地に合うように、採種のとき特別に良い豆を、何年もかけて選び抜いてきた賜物だといいます。
「毎年、種豆はひと際良いもの、一級品よりも良いものを選ぶんです。だから煮るとものすごく大きくなって、びっくりされるんですよ(笑)。でも、農家はそれは売らないんです。それと、どこのどの気候でできたかわからない他所(よそ)の種は一度も入れたことがない。長い年月この土地に慣れて、この土地をよく知っている種しか使わないんです。そうやって、小さい豆を、この土地で大きくしてきたんです」
山口さんが守っているものは、伝統野菜だけではありません。それは、畑です。
この田代原という地区は、山口さんの曽祖父の代から、多くの苦労を重ねながら切り拓いてきた、開拓地です。
「昔から亡くなったおじいさんに、開拓時代の苦労話をよく聞いてきました。ここの土は作物が何でもできるような豊かな土地なんですが、ただね。もともとは痩せてたんです。うちの親父がまだ中学生の頃に、牛を一頭買ってくれ。牛乳が採れて、牛の堆肥で畑も良くなるから、と曽祖父に頼み込み、酪農を始めたんです。それ以降、このあたりは一時期、酪農をやっている農家が12軒ほどの酪農地帯になって、集落全体で土地を肥やしてきたという歴史があるんです。開拓から約100年かけてみんなで築いてきたもの、この土そのものを絶やしたくない。そういう思いがあるんです」
本誌一号で取り上げた『六合納豆』の山口一元さんは、英義さんのお父さん。一元さんが、当時高価だった牛を買ってもらった、というエピソードは、とても印象に残っています。そこから今につながる物語の続きを知ることができ、いま一度、胸が震える思いがしました。
牛を飼い、乳を搾り、森を切り拓き、畑を広げ、その土地に堆肥を入れ続ける。地道でひたむきな日々の仕事の積み重ねをして、この大地は今日まで継がれ続けてきました。
そして山口さんが作る野菜には、土地の歴史と人の想いが引き継がれています。種もまた、人の手で大切に守られながら、その思いに応えるように芽を出し、命を繋いできました。
ちいさな種には、大いなる歴史と濃厚な人の想いが詰まっています。その内側に、〝芽〟以上の、尊いものを宿して。
伝統野菜|山口 英義 (やまぐち ひでよし)
- 2024年2月22日
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