のどかに広がる田園風景。青く冴えわたった空に向かってのびる稲の海。そこに、煙突が一本。生彩な緑に映える白壁の蔵のなかには、酒の良い香りが漂っていました。〝造り〟の時期を終わってもう2か月ほど経つというのに。
「そうですか。僕は慣れてしまっているのか、全然わからないですね」と、蔵元の吉田和宏さんは言いました。酒造の時期であればどれほどなのだろうか? と、つい想像してしまいます。
ここは中之条町でただ一つの蔵元、『貴娘酒造』です。創業明治5年の歴史を持ち、吉田さんはその6代目。蔵名でもある銘柄『貴娘』は、地元では昔から愛され親しまれてきました。
すこしだけ、〝酒〟の歴史をおさらいしておきましょう。〝酒〟と人類のかかわりは長く、紐解けば、数千年の時を遡らなくてはなりません。古くからひとびとは、その土地で手に入るものと、その土地の風土に適したつくり方で、〝酒〟をこしらえ飲み継いできました。
日本では、私たちがこだわり愛してやまない米、そこからつくり出される日本酒は、まさに日本人としてのアイデンティティーを色濃く反映するものです。神事、祝事・慶事などの日本の伝統行事には、日本酒の存在は欠かせません。
ところが現代、「日本酒の消費量はもうずっと右肩下がり」と吉田さんは口にします。県内でも廃業を余儀なくされてしまった蔵元も少なくないといいます。
そんな吉田さんも、はじめは会社を継ぐ気はさらさらなかった、と。「僕が高校生くらいの時、世間はバブルの好景気にわいている時代だったんです。その影響は酒造業にもあり、すごい勢いでお酒が売れていました。12月には、出荷するのを酒屋さんのトラックが蔵の外で待っているほどでした」
その当時は「まさか日本酒の消費が今のように落ち込むと想像もしていなかった」。自分の人生を歩み、都心部で会社員として働いていたときにリーマンショックを経験します。それが10年前。早朝から終電までの過密な働き方に心身ともに疲れ切っていました。そんなときに耳にしたのが、酒が売れなくなっている、人手も足りず困っている、という現状。吉田さんは「戻ろう」と決めます。
この町で酒造りを始めて、今年で11年目。本格的に酒造りの勉強をはじめたのは戻ってからでした。はじめは右も左もわからない手さぐりでの酒造りでしたが、やがて、根拠のない「昔からのやり方」に疑問を感じ始めます。そして国の機関である酒類総合研究所での2か月の研修、酒造りを基本から学び直しました。そうして「良いことは残す、良くないことは潔くやめる」といった大胆な改革を進めていったのです。
吉田さんは、セカンドブランドとして『咲耶美』(さくやび)という新しい銘柄もつくりました。「酒の消費が落ち込むなかで、新しい切り口の新しい酒をつくる必要性を感じるようになったんです」。コンセプトは〝シュワッとして香りが良く、日本酒を飲んだことが無い人でも飲めるお酒〟。まずは都内から売り始めた『咲耶美』は徐々に評判を上げ、いまでは全国15か所の酒屋で扱っています。でも、「ばらまくように取扱い店をひろげたくない」という吉田さんの姿勢には、つくり手としての誇りと、自分のつくった酒への愛情がにじみます。
「ゆくゆくは『咲耶美』を皮切りに、地元でもう一度『貴娘』で勝負したい」と語る吉田さんの真っすぐに未来を見る眼差しは、清らかな酒のようにピリリと澄みきっていました。
「旅に出たら、土地のおいしい料理を食べ、その土地の酒を飲め」という言葉がありますが、土地の酒を飲むということは、その土地の恵みの象徴をいただくようなものかもしれません。私の地元にはこんなに美味しいお酒がある! と、郷土の地酒を自慢できるというのは、生まれ故郷を誇れる一番の瞬間ではないだろうか、と。10月からふたたび始まる酒造りに思いを馳せながら、そんなことをしみじみと考えるのでした。
貴娘酒造|吉田 和宏(よしだ かずひろ)
- 2024年1月24日
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