桑茶|湯本 茂夫 (ゆもと しげお)

  • 2024年2月22日
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養蚕は、かつて日本の主要な産業を担っていました。養蚕農家特有の建築様式や、桑畑。養蚕とともにある暮らしは、日本の原風景です。
中之条の赤岩集落もまた、養蚕がとても盛んな集落でした。集落にはいまも、当時の暮らしを物語る、伝統的な養蚕農家の家々が、数多く残っています。
2006年、国により『重要伝統的建造物群保存地区』(重伝建)に選定され、後世につなぐべき美しい里山の風景を、現在も守り続けています。
もうひとつ、この集落に残っている素晴らしいものがあります。それは、地域の人同士の強い絆、人と人がつながる温もりです。
集落の玄関ともいえる場所にある『ふれあいの家』は、ここを訪れる観光客を案内したり、もてなすために作られました。住民たちが集まる憩いの場にもなっていて、食べ物を持ち寄り、囲炉裏を囲んでは楽しそうに語らう人たちの姿がそこにあります。そして、訪れるたびに人懐こい笑顔で迎えてくれます。
「ほら座って」「お茶いれるよ」「これ美味しくできたから、食べてみて」
出されたお茶は、鮮やかでキレイな濃い緑色。緑茶のように見えるけど、渋みのない爽やかな味わいで、スルスル飲めます。このお茶、桑の葉から作られている桑茶。養蚕に支えられてきたこの地区ならではのお茶です。
桑茶を作っている『ふれあいの里委員会』の湯本茂夫さんが、桑茶を作ることになったきっかけを教えてくれました。
「お蚕さんのために、昔はどの家にも桑の木を植えていたんですよ。でも現在は、養蚕をやらなくなって使い道が無くなってしまった。そんな中、重伝建に選定されて、多くの観光客が来るようになりました。訪れる人たちにかつての養蚕文化を感じて見てもらおう、という取り組みが起こり、その一環で桑の葉を活用した桑茶を作ることになったんです」
『ふれあいの里委員会』は、赤岩集落の全員が会員となっていて、養蚕部会のほかにも様々な部会があるといます。さらに、それとは別に、今でも養蚕をしている『絹糸の会』、そばを生産する『赤岩そば組合』、『水車組合』など、さまざまな活動を通して、みんなで協力しながら地域を盛り上げています。山間部で高齢化が進む地域ではあるけれど、皆さん本当にお元気で活動的です。
桑茶のための茶葉の収穫は、年に1回。これも共同で行われます。作業は朝8時から。
「私が中学生とか高校生の頃は、桑の葉を摘むのは毎朝の仕事でした。よく手伝わされましたよ。日中には葉がしおれてしまうので、朝採りの新鮮な葉でなくちゃいけないんです」
養蚕の盛んな時期には、春・夏・秋・晩秋と、年に4回、養蚕を行っていて、その時期は、2階はお蚕さんの部屋、1階にもお蚕さん。人間は空いている隅っこで寝るだけ、という生活だったそうです。
それほどに大切に育てたお蚕さんが作る繭は、当時の貴重な現金収入でした。そして、そのフンは捨てずに取っておき、肥料として畑にまいていたそうです。
お蚕さんを中心として回っていた暮らしがありました。そして桑の木。
「桑の木は、もう本当に身近も身近な存在。餌にならない枝は、桑畑に持って行って雑草が出ないように敷いておいたり、本当にいろんなものに利用しました。子どもの頃はみんなで桑畑に行っては、ドドメ(桑の実)を食べるのが好きでね。ベロ(舌)なんかみんな紫になっちゃって」(笑)
昔から集落の風景の一部であり、人々の傍で親しまれてきた桑。
その桑の葉が、最近の研究により豊富な栄養成分を含んでいることがわかってきました。食物繊維、カルシウム、鉄分などの、体の健康維持に欠かせない基本的な栄養素に加え、桑の葉特有の成分にも、いま注目が集まっています。
そういえば、お蚕さんのフンを肥料に野菜を育てていたと湯本さんが言っていたけれど、それって、集落の人たちは昔から間接的に桑の栄養を摂っていたということになるのでしょうか。
赤岩の人たちがいつも元気いっぱいな理由、なんだか分かったような気がします。
かつてはお蚕さんの餌として集落の人たちの生活を底から支えてきた桑が、これからは別の形で、赤岩の人たちを助けていくのかもしれません。